コンタクトレンズは必需品。昔むかしから比べるとすごい進歩だ

2018年11月21日ライフスタイル

目が悪いのは遺伝

私はコンタクトレンズを高校生の頃から使い始めました。小学校高学年頃からメガネをかけ始め、どんどん視力が落ちてメガネのレンズが厚くなる一方。

実は、両親は二人とも目が悪いです。母は、私が物心ついた頃には、ハードのコンタクトレンズを使っておました。当時にしては珍しかったと思います。夜寝る前などはレンズを外してメガネに取り替えます。裸眼になると手元でも見えなくて、手に持ってる物ですら、顔の前に近づけて見ていたのを思い出します。

父もメガネが外せない人で、近視と乱視が強かったようです。

その両親からの遺伝で目が悪くなったのでしょう。私がメガネをかける前、小学校低学年の時は、母に度々眼科に連れていかれました。その理由は、何かしらの視力回復の治療をしていたようです。私はあまり記憶にないのですが。

酸素透過性レンズのおかげ

高校三年でコンタクトレンズを使い始めました。

その頃のコンタクトレンズは、ようやく寝ても大丈夫なものが出始めたくらい。いわゆる、酸素透過性のレンズです。

それまではハードのコンタクトレンズを使う母を見ていましたが、不便でした。晩御飯が終わって少しうとうと、と居眠りでもしょうものなら、痛たたた。目がそうとう痛むらしく、よくレンズのケースを手渡してました。

私が高校で使い始めたレンズは連続装用一週間可能をウリにしたもの。ソフトレンズも煮沸消毒が必要なものが一般的な時代。一週間手間なく使えるのは画期的でした。それでも、1週間連続装用するときは医師の診断を受けてください、みたいな制約付き。流石に寝るときもつけっぱなし、って習慣にはなりませんでした。

高校生の私はこの優れものレンズで随分と助けられたものです。

 

どんどん改良されて今は使い捨て

メニコンを使っていましたが、それから言うもの、レンズを2年くらい毎に交換。その度に、酸素透過性が改良されたレンズが開発され、値段が上がるのですが、いいものを使うようになりました。

いまは、そのメニコン。定額制のプランがあり、月々千円ちょっとくらいで、好きな時にレンズ交換。割ったらタダで交換。なくしたら5,000円で新品へ。みたいなサービスを利用しています。(メニコン メルスプラン

以前の投稿ですが、こちらもご覧ください(定額コンタクトレンズ―健康的に普通に生活するコスト)

 

今は、例えば、出張で長時間のフライトでもコンタクトレンズ外さずに寝ちゃいますね。それが平気なくらい酸素透過性の高いレンズに、現在は進化しているのです。

 

そして、中2の娘。こちらも遺伝で近眼。さっそくコンタクトレンズですが、時代が変わり、ソフトのワンデーのレンズ。今時は処方箋さえあれば、ネットで買えてしまうのです。

 

美容室でスタイリストと盛り上がる

と、こんな話が、行きつけの美容室(祖師ヶ谷大蔵のリアンジェ. 祖師谷大蔵店)で盛り上がりました。

コンタクトレンズって、若いときから使い始めた人が高齢になるケースがまだなく、長期間の実績があるものじゃない。ようやく私の母くらいの世代が、その人たちになるんじゃないかな、なんて話をスタイリストがしていました。

レーシックってレーザー治療でそんな話を聞いたことがありましたが、コンタクトレンズもそうなのですね。