自己紹介: スキー一級編

自己紹介: スキー一級編

スキー検定一級

私はスキー一級の取得者です。ちょっとした自慢です。ただ、そうは言っても、近年は年に何回もスキーに行くようなことはありません。

夏が終わったばかりで少しばかり季節外れではありますが、本日は、そんな私のスキー歴をご紹介します。

スキー人生の第一幕

北海道、芦別市の出身です。

父も、母も、スキーをするので、物心ついた時には冬になればスキーで遊んでいました。

子供の頃の北海道の話になると、よく、関東の人でこんなことをいう人がいます。

「北海道ってスキーで学校行くんでしょ?」

そんなことは、ありません。スキーは生活と言うよりは娯楽です。大雪がふってたとしても、学校へスキーでなんか行きません。

小学生のころは、家の近所の公園で、ミニスキーと言うもので遊びました。

ミニスキーは長靴にベルトのようなもので固定するプラスチックの短いおもちゃのようなスキーです。近所のスーパーとかでも売ってたんじゃないかと思います。

当時のプラスチックは強度も悪く、おもいっきり転んだりするとすぐに割れてしまいます。家の物置には片方だけ割れてしまったミニスキーが何個も残骸としてあった記憶があります。

ミニスキーは近所の道路や公園などで遊ぶものですが、ちゃんとしたスキーは、普通にスキー場に行って楽しみます。

スキー場は自宅から車ですぐだったので、学校が終わった後にナイターに行ったりしました。

学校では、冬場、スキー学習というのがあり、授業としてスキー場に皆で行ってました。個々人のレベル毎にクラス分けして、学校の先生が普通に教えてくれたものです。

スキー人生第二幕

高校では、吹奏楽の練習が忙しいこともありほとんどスキーはしなくなりました。でも、大学生になり、関東に住むことで事情が変わります。

時はバブル。私をスキーに連れてって。。。と言ったトレンドもあり、大学生の少年(自分)もその流れに乗りに乗って、スキー渋滞もものともせずに、苗場だ、志賀だ、と出かけてました。

子供の頃からのキャリアもあり、この頃は誰と出かけても「スキーが上手な人」として認知されました。

春休みには群馬の山奥のホテルのレストランでウェイターやりながらスキーが滑れるバイトなんかもやりました。思えばこのバイトで毎日コブ斜面ばかり滑ってたのは、大いに上達に影響しました。少年(自分)は益々うまくなっていきます。

調子に乗って次第にスキーの検定にも興味が湧きくようになります。何しろ、これまでは、ろくに習ったこともなく、うまいとは言っても我流でどんなところでもとりあえず降りてこれるって感じ。検定の得点ポイントも全く知りません。

それでも、検定用のレッスンを何度か受講したら苦もなく二級クリア。一回落ちたけど、社会人になりたてくらいで一級もクリアしたのでした。

スキー人生第三幕

子供ができたら家族でスキー。

最近は器具も全部レンタル。スキー場に行くのも新幹線。手ぶら日帰りスキーです。あ、ウェアだけ自前。

子どもはそんなに滑れませんので、一緒に滑ってると「ストック邪魔だから持って」とか言ったりします。

もっと小さいころは、急な坂降りられなくて、脚の間に乗せるように山を降りたこともあります。

そんな状態なので、自分のストックは持たずに滑るようになりました。滑る時も手ぶらでスキー。

そんな時分の手ぶらでスキーのビデオです。

自己紹介: 大学編

自己紹介: 大学編

一人暮らし一年目

大学は東海大学の工学部でした。入学したのは1989年でした。

大学に入学して、一人暮らしを始めました。一人暮らしだと、何か、友達と遊び呆けて勉強も適当に、授業も出たり出なかったり、なんてことになりかねません。

私は、幸いにも選んだアパートが大学からえらい遠いところで、友達が入り浸ることもなく、また、自分自身勉強が好きなこともあり、かなり真面目にやってたと思います。1年目終わった時の成績は電子工学科で4番手だったと思います。え?みんな意外と勉強できないのね、と正直思いました。

 

軽音楽クラブ活動

 

私は、高校時代は、吹奏楽部でチューバを吹いていました。全国大会に出場したこともあります。

吹奏楽は、お堅い曲ばかりではなく、歌謡曲やポップスなどを演奏します。ドラムやエレキベース、エレキギターなどを入れることもあります。私は、チューバ吹きでしたが、そんな時はエレキギターに持ち替えてギターを演奏していました。エレキギターが好きで結構弾き込んでいたので、大学に入学してからは軽音楽系のクラブで、バンドを組もうと思いました。

クラブに入ったものの、意外とメンバーの自主性にお任せなんだなと思いました。吹奏楽だと、パートが決まっていて、クラブに入ってもそのパートの先輩が面倒見てくれたりして、結構新入生に手厚い感があります。しかし、軽音楽って所詮は数人のバンドメンバー。気の合うメンバーを見つける出会いの場がこの軽音部でした。しかし、これがなかなか難しい。軽音部といっても意外とカチッとしたジャンルではなくやりたい楽曲は皆それぞれ幅広いです。中々合わせられるものではないと感じました。

私は、ようやくメンバーを見つけてバンドを組んでみたものの、2,3回合わせたくらいであまり盛り上がらず、結局1年経たずにクラブを辞めました。俗に言う幽霊部員かな。

半年もすると、付属高校時代の吹奏楽の友達がオーケストラクラブに入っていることを知りました。軽音ではなく、結局クラシックというか、そっちの分野に流れることに。そしてその年の年末には、オーケストラのクラブでコントラバスを始めていました。

 

オーケストラの活動

エレキギターをやっていたとは言え、コントラバス、しかも弓で弦を震わせるという演奏は初めて。数か月は、延々とボーイングの練習をしていました。吹奏楽のチューバで兎に角、ロングトーンの練習が重要だったので、同じだなと思いました。ロングトーンの練習は、細く長く均一に音を出すための練習です。同じ音をボー、っとただただ吹くだけ。ボーイングの練習も同じ要領です。ずっと均一に音を出せるようになるのが重要。ギターをやっていたので、弦を押さえる左手は比較的お手の物でした。半年ほどして、次の定期演奏会の演奏曲、チャイコフスキーの交響曲5番を引きこなし、コントラバスのOBから驚かれていました。

そんな状態でしたので、コントラバスのOBに、他の大学のオーケストラや社会人のオーケストラのエキストラに誘われるようになっていきます。コントラバスって意外と演奏者が不足していました。どこのオーケストラもコントラバスの頭数を集めるのに苦労していました。

東海大学のオーケストラ・クラブは弱小で初心者ばっかりだったので大曲をやるのはとても苦労していました。それこそどの楽器にもいっぱいエキストラが入ってやっと演奏会が成り立つくらい。年に1度(だったと思います。2回だったかな?)の演奏会に向けて、同じ曲ばかり練習するものだから、できる曲は年に数曲。でも、私は、あちこちのオーケストラにエキストラで出ていたので、いろいろな曲を演奏する経験に恵まれました。

大学と大学院の6年間は、そんな感じで、コントラバス演奏家として活動して結構上手に弾けるようになりました。あるオーケストラでエキストラで行ったときなどは、個人練習している私を見て、音大生かと思いました、と声をかけてきた方もいるほど。

この活動のおかげで、会社に入って職場のオーケストラを作った際にも、首席奏者としてしばらく演奏させていただく機会を頂いたり、大学のオーケストラで知り合った後輩の今の奥様と結婚することになったりと、いろいろなきっかけを頂きました。

勉強の方は?

勉強の方ですが、1年生で学科で4番だったので、2年目からは試験勉強を強化しました。
試験期間中は、勉強のプランをしっかり立てて、部活の練習からカチっと頭を切り替える私を見て、よくそんなことができる、と感心する友人もおりました。

おかげさまで、学部時代は、2年目以降毎年首席で授業料免除の待遇を受けておりました。

自己紹介: ベジタリアン編

自己紹介: ベジタリアン編

ベジ生活を始めた訳

私は、五、六年前から、牛肉、豚肉、羊肉、など、四足の動物は食べません。
鶏とか魚は食べるので、所謂ビーガンのような完全ベジタリアンではありません。それでも、肉類を避け、食べ物を選んで偏食する意味ではベジタリアンなのでしょう。
ベジ生活を始めるまでも、食事を選んでいました。私は、花粉症がひどくて花粉の季節に焼き肉、ビールを頂くと、次の日の症状が悪くなるのです。そこで、春先は牛肉を控える生活を何年かやっていた事がありました。
完全に四つ足を避けるのようになったのは、そんな経験も関係があります。ただし、決定的だったのは、一緒に働いていたインドのオフショアベンダーのインド人との会話です。インド人は、ベジタリアンが一般的で、その彼も卵すら食さない完全ベジタリアン。ところが、聞くと元々はインド人には珍しく肉類を食べていたと言います。ベジになった理由は、医者のアドバイス。お腹を壊して医者にいったら肉を止めろと言うのが処方だったとか。それから、肉をやめて体調が良くなって続けているのだとか。
ちょうどそんな話を聞いた頃に新聞のニュースで花粉症の原因にある種ののたんぱく質が関係がある、というのを読み(どんな記事だったか忘れてしまいましたが)ました。私の春先の牛肉の経験もあり、いっそ、インド人の様に肉をやめてしまえば、花粉症が改善するかも、と思いました。ただ、完全ベジタリアンは、家族への影響もあり、ハードルが高いです。知り合いのインド人の中でも、鶏肉は食べる、と言った緩いベジもいたので、まずは四足は食べないルールを自分に課し、一年限定で初めてみることにしました。

ベジで変わったこと

一年間の予定が、一年、また一年と、年を重ね、いつから始めたのたのか思い出せないくらい続き現在に至ります。多分、五年くらいになるかと思います。
さて、花粉症は治ったでしょうか?
いえ、治りません。年齢と共にひどくなってる気もします。この話を人にするとオチに笑われますが。しかし、本人は気にしてませんで、きっと、肉食べてたらもっとひどい症状になっているものと考えています。なので、当分、辞めません。
人によく、焼き肉とか食べたくなることない?と不思議がられますが、全く食べたいとは思いません。
ベジになって、変わったことかとはいくつかあります。

匂いに敏感になった?

一つは、匂いに敏感になったかなと思います。結構どうでもいい臭いが気になったり、かぎ分けたりします。ベジのせいではない、年のせいかもしれません。でも、それまでは、こんなに敏感ではなかった様に思います。
豚肉や牛肉の焼いた臭いは、結構敏感に反応してしまい、ちょっと気持ち悪い感じを受けます。

家族の肉に対する反応が変わった

私がベジ生活を始めたとき、奥様も協力してくれました。なんで、家で食べるものも、牛肉、豚肉などは出ません。餃子も家で作るのは鶏肉で作ります。
そんな家の食事を子供も続けてていますが、さすがに家族は私ほどストイックではないので、外ではお肉を食べます。しかし、食べたあと気持ち悪くなるらしいです。なので、以前は喜んで食べいていた牛肉の霜降りもあまり喜んで食べなくなってるみたいです。

初対面で話のネタにできるし、親切にされる?

日本人はまだまだベジが少なく、珍しがられるのでネタになります。以前、会社の仕事でイベントの手伝いに大勢で海外出張。その時に、ベジは私だけですが、目立つし、話のネタになりがち。そして、食べられますか?と、食事で親切にされます。はじめの頃は、例えば自分だけ特別に用意してもらったりするのが、悪いなーと恐縮してました。でも、最近はそんな扱いも、楽しめるようになりました。

コンビニ食が困る

コンビニの飯が意外と食べられません。サンドイッチとかも、だいたいハムが挟まっていたり、入ってなさそうで意外と原料のところに豚肉が登場します。
ジャンクフードみたいなのも食べられませんので、結構選択肢が限られます。

日本の本来の食事はいい

私は外食もあまりしませんが、食べる時はもっぱら蕎麦屋です。蕎麦好きなのと、基本、蕎麦って植物性の食べ物で、出汁は動物性でも魚類です。
そして、居酒屋などに行っても、揚げ出し豆腐とか、焼き魚など、シンプルで健康的なつまみが豊富。日本の食事はよいです。
でも、メニューの表記は考えて欲しいものです。海外でレストランに行くと、必ずと言っていいほど、ベジのマークが記載されています。私は、そういう料理を選んで食べることができますが、日本だとあまりみません。2020年の東京オリンピックに向けてはその辺りの国際標準にぜひぜひ近づいてもしいものです。

自己紹介:東海大学第四高校ブラスバンド時代編

自己紹介:東海大学第四高校ブラスバンド時代編

北海道芦別市出身。
幼いころは、田舎でリコーダーが大好きでいつも飽きるまで吹いてました。そんな母は私のことを「笛ふきドジ」と呼んでいました。
とにかく楽器が好きだったので、中学で吹奏楽を始めました。楽器は、たまたま男子が少なく奏者がいなかったチューバ。その後、吹奏楽コンクールの中学の部で北海道全道大会に出たり、チューバソロでコンクールに出たりしていました。その流れで、高校は親元離れて札幌の名門で全国大会常連の私立高校に入学。吹奏楽コンクールの高校の部の、全国大会出場経験もあります。

私は今は40台後半になってしまいましたが、なんと、この時の吹奏楽部の顧問の井田先生は今でも現役のようです。未だにこの高校は全国大会の常連校。一体どうなっているんだと思うような偉業を成し遂げているところです。顧問の井田先生は、吹奏楽指導のDVDまで出しています。

井田先生の「誰にでもできるバンド指導」 演奏に欠かせない7つのアプローチ/東海大学付属第四高等学校 吹奏楽部 井田重芳

高校吹奏楽部練習というと、とにかく、同じ曲のおんなじところばっかり練習していた記憶が蘇ります。
課題曲のマーチの頭の数小節をそれこそ、毎日毎日、何度も何度もガミガミ言われながらひたすら繰り返す。サウンドが明るいとかくらいとか、バランスがどうこうとか、リズムがあってないとか…。その数小節の出番がない人は、只々そのガミガミを聞きながら合奏の練習時間を音も出さずに過ごす。そんな練習風景が思い出されます。
ただ、この井田先生という方、全国大会常連校の指導者だけあり力のある先生だったのでしょう。日本各地から有名な先生を連れてきては、ご意見を頂き、(ここからは想像ですが)夜のススキノ接待で飲み過ぎて?昼間の授業は生徒にレーザーディスクの映画「アマデウス」を見せたきり自分は楽屋みたいな部屋で寝ていると。。。そして部活の時間で本気モード。音楽の先生でありながら授業はせずに、兎に角ひたすら吹奏楽部を強くする。そんな方でした。

しかし、今自分が社会人になって思うのは、本当にすごい人に指導を受けていたものだと思います。毎年毎年入れ替わる高校生を引っ張って全国大会に毎年コンスタントに持っていくリーダーシップって並大抵のことじゃないです。そんな凄い指導者から教育を受けていた高校時代の経験が、現在の私の仕事への姿勢や、生き方に影響していると感じます。

高校時代を振り返ると、部活も力が入っていましたが、自分で言うのもなんですが、勉強していました。出来の悪い私立高校だった母校にその当時「理数系クラス」というのが新設されたところ。自分は一期生で結構本気モードで勉強しました。このクラスを教える先生陣も力入っていました(印象)。先生方も強者揃い、個性的な方揃いで、とてもいい時期にいい経験をしたなと思います。特に思い出すのは英語の先生の「海外に自分のお金で行くようじゃダメだ」という言葉。そんな半分自慢話のような事を高校生に向かって授業で話して、その後、デンマーク校に赴任して行った方でした。そんな私も、社会人うん十年目。そのとき言われたように自分のお金で海外に旅行に行くよりも断然会社のお金で海外出張などで経験を積ませてもらっています。言われたことを実行しているなー、と感慨深く思うときもしばしば。

そう考えると、単にすきなことをやりたくて突っ走っていた高校時代ですが、その時があって、今がある。40後半にもなってまだそんな風に思えるのは実に幸せなことですね。

井田先生の本を見つけました。すごいなー。