自己紹介:東海大学第四高校ブラスバンド時代編

田舎者が吹奏楽の名門校を目指す

私は、北海道芦別市出身。北海道のだいたい真ん中あたりに位置する田舎町です。

幼いころは、リコーダーが大好きでいつも飽きるまで吹いてました。そんな母は私のことを「笛ふきドジ」と呼んでいました。
とにかく楽器が好きだったので、中学で吹奏楽を始めました。楽器は、たまたま男子が少なく奏者がいなかったチューバ。その後、吹奏楽コンクールの中学の部で北海道全道大会に出たり、チューバソロでコンクールに出たりしていました。その流れで、高校は親元離れて札幌の全国大会常連の名門の私立高校に入学。

吹奏楽コンクールの高校の部の、全国大会へ出場しました。つまり、吹奏楽の甲子園と呼ばれる「普門館」の舞台に立ったことがある人なのです。

このときの吹奏楽部の顧問の先生が井田重芳先生。

私は今は40台後半になってしまいましたが、なんと、井田先生は今でも現役らしい。今だにこの高校は全国大会の常連校。一体どうなっているんだと思うような偉業を成し遂げているのです。

そして最近は、井田先生の吹奏楽指導のDVDまで出ています。

 

高校時代の吹奏楽の練習

高校吹奏楽部練習というと、とにかく、同じ曲のおんなじところばっかり練習していた記憶が蘇ります。
課題曲のマーチの冒頭などは、ほんの数小節を、毎日毎日、何度も何度もガミガミ言われながらひたすら繰り返す。サウンドが明るいとかくらいとか、バランスがどうこうとか、リズムがあってないとか、言われることは様々ですが、飽きるまでやります。その数小節の出番がない人は、ただただそのガミガミを聞きながら音も出さずに合奏練習の時間を過ごす。そんな練習風景でした。

井田先生は、全国大会常連校の指導者だけあり、力のある先生だったのでしょう。ときに日本各地から有名な先生を連れてきては、私達に演奏させ、ご意見を頂くという活動はやっていました。そして(ここからは想像ですが)夜のススキノ接待で飲み過ぎて?次の日の昼間の授業は生徒にレーザーディスクの映画「アマデウス」を鑑賞させる。そして自分は楽屋みたいな部屋で寝ていると。。。本気モードは、夕方の部活の時間、みたいな感じでした。音楽の先生でありながら授業はせずに、兎に角ひたすら吹奏楽部を強くする。そんな先生でした。

個性が強い先生と学校

今、自分が社会人になって思うのは、本当にすごい人に指導を受けていたものだと言うこと。

毎年毎年入れ替わる高校生を引っ張って全国大会に毎年コンスタントに持っていく。このリーダーシップって並大抵のことじゃないです。そんな凄い指導者から教育を受けていた高校時代の経験。現在の私の仕事への姿勢や、生き方はその時の影響を強く受けていると感じます。

また、高校自体の自分は、自分で言うのもなんですが、部活も力を入れている一方で、結構勉強していました。

当時は出来の悪い私立高校だった母校。でも、私が入学した年は学校が勉学にも力を入れ始め「理数系クラス」というのが新設されたところでした。その中で私は一期生として結構本気モードで勉強しました。

このクラスを教える先生陣も力入っていました(印象)。先生方も強者揃い、個性的な方揃いで、とてもいい時期にいい経験をしたなと思います。

特に思い出すのは英語の先生の言葉。「海外に自分のお金で行くようじゃダメだ」と時折おっしゃっていました。半分自慢話のような事を授業中に高校生に向かって話すような人で、その後、本人はデンマーク校に赴任して行きました。

さて、そんな私も、社会人うん十年目。

そのとき言われたように自分のお金で海外に旅行に行くよりも断然会社のお金で海外出張などで経験を積ませてもらっています。言われたことを実行しているなー、と感慨深く思うときもしばしば。
そう考えると、単にすきなことをやりたくて突っ走っていた高校時代ですが、その時があって、今がある。40後半にもなってまだそんな風に思えるのは実に幸せなことですね。
井田先生の本を見つけました。すごいなー。

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